5福岡工業学校校歌
大正15年(1926)は学校創立30周年にあたり、上野壯吉は藤川勝丸校長から校歌に相応しい歌詞の創作を依頼され、次のような三番からなる歌詞が出来上がった。
(一)弘安明治の國難を しのぶ波濤の打寄する
福陵城下の一角に のぼる黒龍そら高く
えがく煙は名も知るき 工を學ぶ我が校ぞ
(二)實利を體し美を翳し こゝろは眞玉玲瓏と
清き流れの灘の川※ 68や 不斷の努力に天工を
奪ふて國の文化をば 進むる我等任重し
(三)勅語かしこみ守りつゝ つとめ勵みて玄海の
長風一路三千里 東亜の天地を打なびけ
平和の戦にかちどきを あげて皇國に盡さなむ
この歌詞に対する曲は、藤川校長が賛美歌のなかから選んで校歌となし、同年11 月21日に挙行された創立30 周年記念祝典において合唱された。
(一)番は、学校は、蒙古襲来といわれる文永、弘安の役と日露戦役の国難を見てきた博多湾を臨む小高い陵丘にある福岡城の直下にあり、実習工場から黒龍のように立ち昇る煙は、工学を学ぶ我が学校を世に知らしめている、という学校の立地と役割を表している歌詞となっている。
学校がある福岡城の北側直近の湊町校舎敷地とその風景を幼少ながら旧藩時代からの変転をみてきた上野の感慨そのものであったと思われる。
この歌詞は、上野が揮毫したものが額に納められて本館2階の講堂正面左側に掲げられたのが「濤聲」(昭和36号、昭和5年2月28日)の巻頭写真として載せられている。
先にあげた歌詞は、これより取ったもので変体仮名交じりの書体で書かれ
ている。
このときの校歌は、昭和6年(1931)に志村良光校長に交代の後に曲は陸軍戸山学校作曲のものに代えられ、これが旧校歌として伝えられている。