6ほほ笑ましい風景
上野壯吉について述べられている逸話のひとつが、当時青年教師であった浅上義貞元教諭によって残された回想談がある。「…上野先生についても思い出すことは数々ありますが…先生の主義であり性格の現われのひとつであると思う出来事がありました。それは大正10年(1921)前後のまだ所謂兵式体操と云うのを担当して居られた頃の或日、生徒は背嚢を背に武装し、先生は腰に指揮刀を帯びいかめしい兵式教練の授業時間中の事で、たしか横隊行進の練習中であった。列中の誰かが何か不都合なことがあったと見えて、先生大喝一声してその背後から指揮刀を以て背嚢の上をピシャリやられたが、刀が少し曲った事にも気付かず抜刀のまま授業を続けられた。時間が終って刀を鞘に収めようとしたが、なかなか元の通りはいらない。そこで初めてそれと気付いた先生、からからと笑いながら生徒に向って大声で日(いわ)く『コラッ! だれだったか、さっきやられた者は!出て来てこれをはめて見ろ!』と。其時一人の生徒が頭をかきかき出て、曲った刀に手を触れて見たのです。私はこのほほ笑ましい有様を見て、邪念のない実に美しい真の心と心の触れ合う師弟の姿に泪ぐましい感激を覚えた」と回想している。また当時生徒であった砥上榮次郎元教諭(大正9年採鉱科卒)も曲がった軍刀の事にも触れ、さらに「…上野先生はまたの名を『大学目薬』といっていた。ちょうど大学目薬の商標にあるあごひげ、眼鏡がそっくりだったので、かく愛称されたものと思う。先生は誰からも慈父の様に慕われ、また学校の生字引でもあった…今でもその慈顔のみが蘇って来るのも先生の徳の然らしめるところであろう」と述べている。