4初等教育を終える
徳永庸は、学齢に達すると大字小竹の中心近くに設けられた村立青柳尋常小学校分教場に通って2年生まで学んだ。1、2年生合わせて30名足らずの分教場は、普通の農家の畳を除いて板張りにした6帖と4帖半の2室が教室で3帖が教師室兼湯沸場であった。教師は小竹と青柳尋常小学校の途中の街道筋にある長泉寺の住職で、この分教場を修了すると進級試験を受けて本校に通学することになった。この分教場は大正2年に閉校となっている。こうして明治30年に、青柳尋常小学校4年を終えると青柳字神田の青柳高等小学校へ進み4 年修業ののち卒業した。