3生い立ち
徳永庸は、明治20年(1887)12月18日、福岡県糟屋郡青柳村大字小竹(おだけ)588(現古賀市小竹)に父忠吉、母フジの次男として生まれ幼名を長兵衛といった。
糟屋郡は、福岡市の東側に隣接し北西は玄界灘に接して東南部に広がる地域で、北部には豊前小倉を起点に赤間、青柳、箱崎を経て福岡、さらに前原を経て肥前唐津に至る藩政時代に整備された唐津街道※ 4が通っている。大字小竹は、明治22年に青柳町や周辺の村が合併して青柳村となるまでは小竹村であった。小竹はこの街道筋にある青柳宿の西構口跡を出た約1.5kmほど福岡側の小竹口からおよそ600mやや南西にはいったところに位置する集落で、この往還をさらに西へ1.5kmほどいくと太閤井戸※ 5がある。この街道は明治18年に国道となったが後に国道3号として整備されたとき郡内域の路線は北側に新しく整備され、旧街道は県道504号となって今に至っている。