10信仰の道へ
修業のはじめ
退職した上野壯吉は、大正7年(1918)の孫の重篤の病気を脱する出来事はじめ、近親縁者に降りかかる災難に出会い、思うところあり天理教の教えの道に入り※ 73奈良県山辺郡(現天理市)丹波市町天理教敷島大教会詰所に滞在して斯道の修業に励むことになった。天理教校別科生として半年間の教義研修を受けている。
上京
修業を終えて一旦帰郷した上野は、東京市小石川区小日向台町に在住の長女宅に居を構えて布教活動をはじめ、同12年には同区関口水道町へ転居して「日々破履を叱咤して」布教に専心務めていると校友会に伝えている。