5瓦斯電に入社
大正8年(1919)に三洋社を解散して9月に、自動車、工作機械、発動機、計器類、兵器、紡績機などを主力生産とする前月に完成したばかりの東京瓦斯電気工業株式会社の大森工場に入社する。
この毛利の入社については、日本自動車合資会社の先輩で瓦斯電の統括技師となっていた星子勇の勧誘によるものではないかと思われる。ともに自動車の販売・修理ではなく製造についてより興味を持ち、また技術習得に有効な海外実業練習生を既に経験している星子の入社後の研修の示唆などもあったのであろう。
東京瓦斯電気工業株式会社
明治43年(1910)8月に「千代田瓦斯会社」の子会社として、元佐賀県知事徳久恒範が発起し有力財界人の協賛を得て設立された瓦斯灯のマントル※ 10を製造する工場を本所区業平町(現墨田区業平)に建て操業開始した「東京瓦斯工業」を前身とする。
大正2年(1913)に、来るべきは電気の時代と業務拡大を企図して、社名を「東京瓦斯電気工業」と改称し略称を「瓦斯電」、或いは「Tokyo Gas Electric Engineering」から「TGE」とも称した。第一次世界大戦※ 11に伴い、瓦斯電は大阪砲兵工廠※ 12の指導を受け砲弾の信管※ 13など大量の受注により当時民間企業としては唯一軍需品を輸出した。