7海外派遣留学
東京瓦斯電に入社した毛利は、自動車の知識、特にガソリン発動機の研究を深めるため自動車工業の先進国となっていた米国で学ぶべく、農商務省の海外実業練習生派遣の希望を持っていた。海外実業練習生採用には選抜試験があり試験科目の最初に練習目的地の語学があり、その内容は和文外訳、外文和訳、会話となっている。毛利はかねてからこの事が念頭にあり、米人の宣教師のいる教会の「バイブルクラス」に入り宣教師と教義を諳んじ会話の練達に務めたのであろう。日曜日の朝には喘息もちの身にかかわらず大声で賛美歌を歌い近所の赤子も驚いたと、実弟の岡村福男が述べている。
試験は例年9月の上旬か中旬に商工省で行われており、同窓会報の消息欄によると大正9年5月の住所が福岡市警固町谷六軒屋(現中央区桜坂1)となっていることから、受験に備えて集中して取り組む為の帰郷であったと推定している。
かくて、毛利輝雄は、大正9年度派遣の海外実業練習生として選抜され海外派遣が実現することになった。
英文の卒業証明
藤川文庫の資料のなかに、学校長藤川勝丸が書いた英文の卒業証明書の草稿が残されていた。発見当初はその卒業証明書の目的は分からなかったが、毛利輝雄が海外実業練習生であったことが判明して、留学研修先のミシガン大学かチャンドラー自動車会社に提出するためのものと考えられ、その内容は以下のようである。
The※ Fukuoka※Technical※ ※School.Mechanical※ Engineering※ Depatment
※ Certificate ※ of ※ Graduation.Know ※ all ※ men ※ by ※ these ※ presents,that ※
Teruo※ Mouri,※ having※ completed※ the※ course※ of※ study※ indicated,and
having maintainend a good moral character is ※ hereby ※ granted ※ this ※certificate.
Done※ at※ Fukuoka,Japan
The※ 23rd※ day※ of※ March,1912
Signed※in※ behalf※ of※The※ Facaulty,Principal.※Km※ Fujikawa