8大正9年度練習生
大正9年度採用の練習生数は、各分野合計30名、現在練習中の者各分野合計89名で留学地域別では、アジア※ 2214名、ヨーロッパ※ 2318名、アメリカ※ 2455名、その他2名の計89名であった。
また、機械工業分野は11名でそのうち内燃機関、自動車関係は次の4名であった。
練習生には官費により研修補助が給付され、5名とも月額75円後には120円支給されている。
このときの研修内容、出身地、研修地は次のとおりである。
堀久 自動車 岡山 パリ
毛利輝雄 瓦斯倫発動機 福岡 デトロイト
白澤 元 内燃機関工業 長野 デトロイト
須藤 勇 飛行機及自動車用発動機 大阪 ニューヨーク
櫻井一忠 家具及車両体製作 東京 セントルイス
また、白澤 元は後に陸軍技術本部に勤務後、陸軍自動車学校研究部に在籍しているときに「毛利輝雄氏を語る」の発刊に際して、追悼の言葉を寄せている。
濱 訓良※25(1870 ~?)
教諭濱訓良は、明治33年(1900)に東京高業学校(現東京工業大学)図案科を卒業して福岡工業学校に赴任していたが、在任中の明治37年(1904)4月に休職して同年6月から同40年6月まで、デザイン研修のため海外実業練習生として米国ニューヨークに留学している。帰国後、日本電報通信社(現電通)に入り後に取締役を勤めている。
毛利が福岡工業学校2年生になったときに、濱は帰国して工業学校を退職しているが、このときに海外実業練習生の存在を身近に感じたのではないだろうか。