3生い立ち
藤川勝丸は、明治5年(1872)3月5日※ 2に静岡県浜名郡平貴村(現浜松市浜北区)貴布禰33番地に、静岡藩浜松郷学校教師であった父・春龍、母・蔦子の二男四女の長男として生まれる。父・春龍の覚書によれば、「第六代勝丸ハ父春龍ノ撰ビシ名ナリ」として「続古今歌集」にいう一人の藤原大将を指す「藤浪の陰さし並ぶ三笠山 人に勝えたる梢をぞ見る」の歌に因み、人に超え行く可き者との義に言祝ぎとりて藤川勝丸と名付けたと書き残している。
藤川の生誕の地は西に三方原台地、東に天竜川を望み静岡市までおよそ80kmの位置にある。幼少のみぎり掴まり立ちで行動が自由になったころ、偶々家人が二階で話し込んでいるときに、一人で階段を上ってきて顔を出した。一同驚愕して一瞬大声をあげ取乱して近寄ろうとした家人を制して、父・春龍がそっと近寄り抱き上げて事なきを得たという。これが自分の人生の危機一髪※ 3の始まりであった、と後世となり生徒に話かけている。
明治16年(1883)12月20日、「小学中等科第二級卒業候事」として静岡県遠江国敷知郡(現浜松市)第壱学区町立小学浜松学校を卒業した。当時義務教育は小学校初等科の3年までで次の中等科の3年は任意であった。