2藤川文庫(1)
藤川勝丸が大正14年(1925)以来、終の棲家として建てた邸宅に設けられた書斎に架蔵して伝えられてきた多くの蔵書や資料が出現したのは平成14年(2002)4月のことであった。小さな桐の箱に収められた、藤川誕生の証である臍の緒をはじめ相当量の書籍や関係文書や写真・記録類が継嗣の榮により生前のままに保存整理されてきていた。
しかしながら榮の不慮の急逝により筆者がそれらの整理を行い「藤川文庫」と名づけて資料目録や年譜の作成を行った。残されていた多数の旧蔵資料は、孫となる藤川薫と秋山容子により福岡工業高等学校へ寄贈された。久保山昇校長は、校長室の机上に藤川勝丸の肖像を奉り、石井金蔵工友会長立会いのもと敬意をはらって寄贈を受けた。これらの資料は、学校史をより詳細にし充実させることはもとより、また日本の初等工業教育変遷の一端を窺わしめるに十分なものといえる。この資料内容は後にみるとして、以下この文庫の援用を加えながら述べることにする。