藤川勝丸

岩崎 徳松

登場人物

岩崎 徳松

岩崎 徳松

1889-1924

中村與資平のもと朝鮮建築界で活躍

4渡鮮と中村建築事務所

岩崎(勝本)宇一(明治35 年建築科卒)

 明治41年(1908)に福岡工業学校建築科を卒業すると、実務練習で勤務した福岡医科大学構内に設けられた文部省建築課福岡出張所に雇として勤務することになった。3年後の同43年に朝鮮在住の友人細江為太郎※ 12の勧めにより渡鮮、細江が技手として勤務している朝鮮総督府度支(たくし)部税関工事課の釜山出張所※13に勤務する。
 明治45年(1912)、朝鮮銀行を竣工させた中村與資平は、朝鮮京城で建築事務所を開設するにあたり新しく人材を求め、これに応じた岩崎徳松は入所後京城蓬莱町4 丁目※ 14の中村の自宅に寄留した。
 岩崎徳松の中村建築事務所への入所の経緯についての考察は後述することにするが大正3年(1914)、中村建築事務所は朝鮮銀行大阪支店の新築工事設計を引き受け工事監理を辰野片岡事務所に依頼した。岩崎徳松は、中村與資平の代理人として内地にもどり大阪府下天王寺阿倍野351※ 15に居を構えてこの工事にあたった。このとき辰野片岡事務所には、同窓の徳永庸、田原政見はじめ、いずれも「列伝Ⅰ」で述べた先輩の吉木久吉(明治33年卒)、永野房吉(明治37年卒)が勤務していたので、岩崎徳松は4名の同窓生とともに久し振りの同じ分野である建築談義や同窓の懐旧談と内地日本の情緒を味わった。特に前章で述べた徳永の妻・安喜が「…福工時代の親友が高木亀三郎様と岩崎徳松様でした」とその手記「想い出すがままに」に述べていることからも、このときの両者の思いはひとしおであったであろう。
 大正4年(1915)に朝鮮銀行大阪支店の工事が完了すると再び渡鮮して、翌
5 年に結婚して松原かね子を妻とした※ 16。

大連出張所

 中村建築事務所は大正6年(1917)、関東州(現中国東北部)遼東半島の南端
に位置する大連に建設計画された朝鮮銀行大連支店の新築設計監理のため、大連市山形通に同建築事務所大連出張所を開設した。岩崎徳松は中村與資平の代理人として赴任し大連愛宕町10に居を構えた。京城の事務所が設計監理を主としたが大連出張所はこれに加えて工事部も設けられていた。
 このとき岩崎の後輩となる大分県出身の柳本貞記(大正6年卒)が卒業して大連出張所に入所して勤務したが大連支店竣工早ゝに内地に戻っている。同8年、久留弘文※ 17が事務所に入所して大連出張所主任となり、次いで宗像主一※ 18が入所する。

朝鮮銀行大連支店

 大正9年(1920)に、京城の事務所は多くの受注をかかえるようになったので、岩崎徳松は大連を離れて京城の事務所に戻り、大連出張所の所長に久留弘文が充てられていた。
 大正10年(1921)3月より、中村與資平は所員のフェラーを同伴して欧米旅行に出発し翌11年2月に帰国する。この間岩崎徳松は、所長の中村與資平にかわって、京城の事務所一切の業務を負担して「熱心事に従ひ、毫も中村事務所の声価を辱しめず、依然として朝鮮建築界に重きを為していた」と追悼されるほど中村の負託に応えた。
 また大正11年(1922)2月、中村は朝鮮に戻った2 ヶ月後には建築事務所の主力を東京に移すべく東京溜池に工務所を、居宅として高円寺に移転して京城の事務所は岩崎に任せられることになった。
 このころ、岩崎は朝鮮建築会の発足計画に従い、発起総会の準備や役員に選ばれたあとは発会式、発会記念講演会、祝賀晩餐会の準備に向けて忙殺されている最中に事務所の主である中村與資平の内地東京への移転が重なることになった。 
 それは今後直ぐに直面する、自分の全責任で立ち行かせなければならない事務所経営への展望と戦略、目前の朝鮮建築会の運営へのかかわり、そして編集委員として機関誌「朝鮮と建築」の創刊へ向けての企画と創刊号の編集等など、まさに「夜を日に次ぐ」ごとく、また「徹宵事務を見る事月余に及ぶ」という事態が襲いかかり岩崎の脳漿と身体は極限まで搾られ知力はもとより体力を酷使したであろう。このように緊迫した所にも、或いは所にこそ緊張の隙間に忍び寄るものがあった。大正12年(1923)の春、それは宿痾となって岩崎徳松の身体を蝕んだ。

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