16西南戦争
明治10年(1877)2月7日、西郷隆盛による鹿児島県令大山綱良への「今般政府へ尋問の筋これあり」の通告とともに薩軍が挙兵して、後に言う西南戦争が起こった。
戦争が始まったこの時期は、開通していた鉄道は東京、京都近辺だけで、政府軍の前線兵站への兵員物資輸送は、福岡まで海路による輸送と前線までは陸送が主力となった。
新政府海軍の13隻の艦船のみならず民間の船舶も動員された。博多湾に上陸、荷揚げされた大量の物資は車力を主として熊本や宮崎方面に陸送された。このときに博多湾、今津湾での荷役から搬送で活躍した人物の一人が「列伝Ⅱ」で取り上げた村上義太郎であった。
征討総督府には、参謀部はじめ4部が置かれその中に川崎祐名一等副監督を部長とする輜重部があり、武器弾薬はじめ諸物資の搬送を采配した。
明治10年(1877)7月24日、都城が陥落して雌雄の大勢は官軍に傾き以後戦線は宮崎、延岡を経て鹿児島に至り、遂に同年9月24西郷隆盛の自刃により西南戦争は終結した。
この戦役中の同年6月、「都城ニ於テ(太政官)輜重部ヨリ金五十銭被下」として報奨を受けている。これは、陸送による弾薬物資の働きに対するものと考えられる。
船舶による前線への、いわゆる衝背軍兵卒の長崎・日奈久間の輸送があるが、戊辰戦争で船舶輸送に従事した経験がある城戸についての関係資料は見出していない。