藤川勝丸

毛利 輝雄

登場人物

毛利 輝雄

毛利 輝雄

1892-1936

自動車工業の先駆けとして— 不世出の技師 東京瓦斯電で活躍

12毛利輝雄工場となる

昭和3 年(1928)
 このころ毛利輝雄は、自動車工場長となり試作と開発に取り組んだ。4月にTGE-L型の設計が完了して、試作に取りかかり秋に2台が完成し軍用保護自動車の資格審査に好評を得て合格する。陸軍からの注文があり、月産10台となり民間にも販売され相当数が使用されるようになった。

「ちよだ」S 型省営バス昭和7 年

 L型の試作時代は、連日の運行検査と諸般の指揮監督に没頭して完成から生産に脳漿を絞り体力を注ぎ込んだという。これが後に宿痾の侵すところとなった。

昭和2 年(1927)朝鮮・新義州での耐寒試験
TGE-L 型トラック
昭和3 年(1928)箱根越え、最後尾車と毛利

昭和5 年(1930)
 新設計のTGE-L型の後2軸をウォームギヤ駆動する6輪2屯積のTGE-N型が完成する。また同年9月に省営バスTGE-MA型(MP)が完成、愛知県、山口県などで運行がはじまる。
 保護自動車となったTGE-N型が関東軍に配属することになり、現地実地試験が行われ不整地の走行や急遽実行された日露戦争で知られた旅順の203高地への登坂を実施して成功している。

昭和6 年(1931)
 このころ毛利は、持病の喘息に苦しみ養生を兼ねて暫く欠勤をするが、持ち前の厳格実直さから、「工場の忙しいときに永く病気で休み、職責を果たすことができず皆さんに心配をかけて真に相すまぬ、どうか会社をやめさせて呉れ」と会社に申し出たと上司の星子勇は述べている。
 TGE-MP型トラックが宮内省に買い上げられ、翌年のTGE-N型から「ちよだ※31」と称されることになった。またTGE-M型には4輪サーボブレーキを備えた低床フレームのバスも作られた。「ちよだ」P型で6気筒エンジンを搭載、省営バスにも使用、更にちよだQ型、ちよだS 型へ改良されている。

TGE-N 型6 輪トラック

昭和7 年(1932)
 瓦斯電は、陸軍の指揮官用乗用車の開発要請に応じ、エンジンは既存のトラックのものとし、駆動系、懸架装置など全て新しく設計して「ちよだ」H型乗用車試作が開始された。前年9月に満州事変の勃発以後、昭和12年(1937)の日中戦争へと拡大していく中、指揮官用乗用車の需要が増え、最盛時の昭和11年から12年には、月産80台に上った。この時期大森工場には、毛利の後輩となる堀内敬次(昭和7年卒、筑紫郡)が入社して航空機部に配属されている。

昭和9 年(1934)
 「ちよだ」H型を3軸6輪車としてHS型となり国産初の軍用乗用車として九三式六輪乗用車として制式化された。これに後に四輪に履帯※ 32を付けて不整地でも走破する事ができた。

昭和11 年(1936)
 九三式六輪乗用車を2軸4輪化して「ちよだ」HF型とし、これが九三式四輪乗用車となり、HS型と共に月産80台程度で量産された。他に川崎車両、トヨタ等も指揮官用乗用車の開発を行っている。

逝去から終戦まで
 毛利輝雄の逝去直後の昭和11年(1936)5月、自動車製造事業法が制定・公布され、これは外資の「日本フォード」と「日本GM」を排除して日本のメーカー育成を重点とするものであった。さらに翌12年(1937)には戦時統制三法※ 33が公布され企業活動も戦時体制へと導かれ、同16年(1941)には大東亜戦争が勃発した。もしもこの開戦を、3年間にわたり自動車工業先進国アメリカで学びその工業力の実態を知っていた毛利輝雄が生きて知ったならば、日本の工業力の現状についてどのように洞察し、あるべき姿を思い描くであろうかと興味深いものがある。
 毛利輝雄が生涯を捧げた東京瓦斯電気工業は、終戦を経て戦後に至る激動の時代を、多くの曲折を経て、日野自動車株式会社、いすゞ自動車株式会社となり現在に至っている。

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