藤川勝丸

毛利 輝雄

登場人物

毛利 輝雄

毛利 輝雄

1892-1936

自動車工業の先駆けとして— 不世出の技師 東京瓦斯電で活躍

18毛利輝雄の逝去と送葬

 昭和11年(1936)2月中旬、長らく毛利を悩ませてきた宿痾の喘息が重篤の事態となり、26日に起こったいわゆる2・26事件の余燼もまだ覚めやらぬ3月11日の早朝5時59分、瓦斯電入社以来自動車の製造にかけて效々として寧日遑なき熾烈な日々は終わりを告げ、まさに自動車に生き自動車に捧げた44歳の一期であった。

泰雲院興誉輝雄居士
 「泰雲院興誉輝雄居士」の戒名を贈られた故毛利輝雄の送葬は、逝去翌日の通夜から始まった。通夜は12日夜として一般の弔問と並行して会社関係は午後5時から設計2課に続き6課と工場の職員の弔問が行われた。告別式は、13日午後1時より挙行され毛利の後任となる工場長代理の安藤喜三を葬儀委員長として、松方五郎社長はじめ一同うちそろって改めて霊前に向かって頭(こうべ)を垂れた。3時サイレンを合図に全工場の作業が停止され、在郷軍人が吹奏する喇叭による送葬曲が流れるなか霊柩車が進んだ。このとき故人の汗の結晶となる自動車部製作の「いすゞ号」3台が各方面より供えられた花輪生花を満載して先導した。
 3月16日、大森工場内に安藤葬儀委員長名で故毛利輝雄の葬儀に際して職員が示した哀悼の意に対して「工場各位に感謝す」として次のような掲示が示された。
 「工場の柱石、吾人の愛敬思慕の的なりし工場長毛利輝雄氏の逝去に遭い、只々之が哀悼しきりにその威容を偲ぶこと切なり…目下工場は時局に基き益々奮励努力を要するの時なり。吾等、故工場長の遺徳を仰ぎつゝ新興日本に相応したる明朗溌溂の工場たらしめ以て業績の躍進を期するとともに国難克服の礎たらしむるこそ、之れ故工場長の御尊霊を慰むる最善なるものと堅く信ずるものなり…」と工場職員へ感謝と今後の協力を求めている。

星子勇の弔辞
 弔詞はまず、上司である星子勇が取締役・自動車部長自動車部総代としてまた会社を代表して「謹んで故毛利輝雄君の霊に告ぐ」を切々と声も途切れがちに捧げたのは次のようである。
 「君、我社に職を奉ずる事十有六星霜、我自動車部工場長の重責に任じ以て、我部今日の興隆を致す其の功績の洪大なる、よく筆舌の盡ところに非ず。君、資性英邁、識見深奥、其の高潔なる人格の顕現する所、積極進取の策となり、溢るる情誼の発するところ整々たる統率の妙諦を示す。部を擧げて其の人に寄託す、豈に故なししとせんや。今や其の人亡し、哀愁何んぞ堪えん。天を仰ぎ地に伏し慟哭久しうするも幽冥境を隔て温容接するに由なし、噫々悲しい哉。君、曩に欧米に学び深く斯業を極め、帰朝せらるゝや其の薀蓄を傾け社業に決掌し、沐雨櫛風※ 46、苦闘幾春秋、我部今日の隆興を来し、斯業発展に貢献する所絶大なり、今や邦家未曾有の非常時に直面し自動車工業確立の要望の聲、朝野に満ち、我部の使命愈々重きを加えんとす。噫々此時君大器を擁し卒然として逝く、痛恨馨ふるに物なし、我等一同君が素志を継承し協心戮力誓って君が理想の実現を期し、以て柳か英璽に酬ゆる所あらんとす。思ひを往時に馳せれば旧の情、惻々として身に迫り心意を盡能わず、流涕哀情を披瀝して在天の霊に捧ぐ、希くは來り亨けよ」

故毛利輝雄の祭壇
毛利輝雄の葬送の列

安藤喜三

安藤喜三

 星子に続いて、東京瓦斯電自動車工場従業員を代表して工場長代理・安藤喜三が弔詞を捧げた。
 「…君天資頴敏にして宏懐、笈を負うて遠く欧米に遊学する事数星霜、夙に自動車工業の国防に重大関係あるを察し深く感奮する所あり。身を東京瓦斯電気工業株式会社に投じて一身を国産自動車工業の発達に供し以て君国に報效せんと欲せらる。当事君が研究の目的たる自動車の技術たるや新興の技術にして其の学理応用共に尚創始の時期に在るをまぬかれず。研究の困難なる推して知るべきに…爾来十有余年或は自動車運行の実地を検し、或は製作技術の学理を講じ斯界の進展に努力せらる…」
 次に帝国在郷軍人会により瓦斯電気第三分会々長でもあった、安藤喜三の弔詞が代読された。
 「曩に帝国在郷軍人会東京瓦斯電氣工業分会創立に際し夙に内外多事多端なる国情を察知せられ軍需工業の在郷軍人分会との不可分性を唱導し以てその設立を強調同志説得に努めらる。一度其の挙の企図せらるゝや発起人として多大の御尽力を忝うす…分会設立せらるるや名誉会員の要職に就かれ…」
 最後に労働組合瓦斯電気技友会会長が捧げて、一般焼香へと葬儀は進行した。
 安藤喜三は、昭和41年(1966)6月6日に「自動車技術の開拓に挺身したガス電気自動車部」と題して毛利輝雄のことにも触れて口述を残して、「自動車史料シリーズ(2)」に掲載されている。

福陵工友会の弔詞
 福陵工友会(現福岡工業工友会)の会報「福陵新聞」(昭和11年5月17日付
け)で毛利輝雄の逝去を悼み、葬儀に際して弔詞を呈したことを告げている。

故毛利輝雄之霊土に帰る
 一連の葬祭の儀が一段落した遺族は、自動車に終始した故人の生涯にとって、最も関係深い東京と故山となる福岡の両地に墓所を定めてそれぞれに納骨をすることになった。まず3月17日、芝大門花岳院に納められ同20日に遺族近親に守られて福岡の墳墓後に帰った。

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