21機関場の設備
明治33年(1900)6月に、これまでの仮設の東中洲校舎から東湊町の新築校舎に移転して、教室などの施設整備は当然ながら、とくに実習に使用する諸施設設備の充実が図られた。
機械科工場として、製図、原型、鍛工、仕上の各工場が設けられ、各科工場の諸機械の運転や必要な蒸気を供給するために機関場が設けられている。
27坪(89.1㎡)の機関場にはコルニッシュ型汽罐※ 52(ボイラ)と17馬力の横置不凝汽蒸気機関※ 531基が据付けられ、汽罐への給水と各工場の必要個所へ
の給水のためのウォーシントン・ポンプも備えられている。後には機関場東側に18坪(59.4㎡)の発電場が設けられた。機械学部長の藤川勝丸は、機械学部のみならず各科の設備の計画に携わった。その当時の記録が藤川文庫にあり、その中に「明治33年度福岡工業学校新築臨時費予算」として、合計5,534円39銭1厘の金額を機械科染織科の設備予算として計上作成し詳細な計画案を残している。これによれば、城戸開内が運転を担当した汽罐(ボイラ)などの諸元は以下のようである。