13軍用自動車調査委員会
陸軍技術審査部
明治37年(1904)から翌38年の日露戦争後、荒漠たる原野での戦闘を経験した陸軍は大量の砲・弾薬その他物資の補給搬送に関して今後の問題点を探るため、明治40年(1907)に陸軍技術審査部にこれらに関連する自動車の調査研究を命じた。これを受けて審査部は、フランスのノーム自動車会社の自動車2台をはじめとしてフランス・スナイドル社製、ドイツ・ベンツ社ガッケナウ工場製の自動車を購入、長距離運行などの比較調査研究を始めた。これらの研究を基にして大阪砲兵工廠で国産自動貨車(トラック)「甲号※ 35」が完成した。
陸軍技術本部
大正8年(1919)4月15日、それまでの技術審査部は改組され陸軍技術本部となった。陸軍兵器及び兵器材料の審査、制式統一、検査を行い、また陸軍技術の調査研究、試験を実施しその改良進歩を目的とした。昭和16年(1941)、陸軍兵器行政本部の設置に伴い統合廃止された。この技術本部自動車班に、大正12年(1923)に福岡工業学校機械科を卒業した蓑原茂喜(糟屋郡)、橋本又男(浮羽郡)の2 名が入っている。
軍用自動車調査委員
これらの結果を受けて陸軍は、自動車の採否の決定のため技術の研究と民間自動車の奨励と戦時徴用の方法の諸問題の調査研究のために明治45年(1912)6月、陸軍省は軍用自動車調査委員の制度を設けた。
同年8月には、3週間にわたり「甲号」、輸入トラック「スナイドル」の各2台計4台により満州で雨期自動車長途運行試験を実施、泥濘路での実験により、適切な性能要件と自動車の使用範囲の限界について具体的な資料を収集し、これらをもとに日本のメーカーによる開発試作を要請することになる。